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GT-R Emblemノバ・エンジニアリング | GT-R特約サービス工場_
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GT-Rの開発を支えた名コンストラクター
森脇基恭が語るNISSAN GT-R開発秘話 目標は「圧倒的な基本性能」

森脇基恭


GT-Rとの浅からぬ縁
 自然界の3つの力=重力、慣性力、空力を完璧に制御し、極めて高い水準で「走る・曲がる・止まる」の基本性能を満たす『NISSAN GT-R』。
 GT-Rの開発チームのリーダーである水野和敏氏は、長年日産のモータースポーツに携わってきた、そこで培われたレーシングカー開発の技術とノウハウを惜しみなくつぎ込み、ドライビングプレジャー、安全性、そして環境性能のいずれをも犠牲にする事無く高い次元でこれらの要素を完璧に結実させたのである。
 その水野氏がGT-Rの開発に当たり開発作業の依頼をしてくれたのが、当社、ノバ・エンジニアリング株式会社である。
 我が社は1974年に発足して以来全日本選手権のタイトルを冠したあらゆるカテゴリーのレースを戦い数多くの選手権タイトルを獲得している。その中心に存在したのが、取締役技術部長を務める森脇基恭である。
 森脇はノバの業務だけでなくF-1のテレビ解説にも従事している。森脇は本田技術研究所、英国GRD社で設計を担当して長年に渡りレーシングチームを運営、レースマシンの開発業務に携わってきた生粋のエンジニアでもある。
 水野氏をして「ノバなくしてGT-Rはありえない、GT-Rの事はノバに訊け」と言わしめたノバ・エンジニアリング。
 GT-Rと水野氏そしてノバ・エンジニアリング、その「浅からぬ縁」を森脇に語ってもらおう。

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ポルシェ・ターボをやっつけろ
GT-R  森脇がNTC(日産テクノロジーセンター)からV35型スカイライン・クーペをベースに「次期GT-Rにふさわしい試作車両を作ってほしい」と依頼を受けたのが2002年4月のこと。車体剛性をアップし、AWD用のギアボックスを作り、車体の改造を施した試作車2台とモノコック1台を翌年に納車する。
 ちょうど同じ時期に水野氏が新たにGT-R開発チーフに就任し、森脇は水野氏から次期GT-Rについてのこんなコンセプトを聞かされる。
 「水野さんが一番思い描いていたのは『今度のGT-Rは量産車なんだけれども、ポルシェ・ターボをやっつけるために、限りなくサーキットを速く走れるようにしなきゃいけない。それには設計—製作—サーキット走行テスト—検討—対策—設計の一連のワンサイクルをできるだけ短くする』ということで、それをなるべく3週間から4週間でやろう、という事でした」
PORSCHE 997  同じ年の東京モーターショーで、カルロス・ゴーン社長はGT-Rの発売を2007年の秋とすることを公表する。全ての物が「ゼロ」からの開発、その開発期間は正味わずか4年。
 これを達成するには、今までの量産車の手法とは全く異なったアプローチで開発することが求められた。

量産車とは異次元の設計手法
 森脇は語る。
 「この『開発期間の短縮』という命題はわれわれレースカーを扱っている人間にとっては実は当たり前のことです。
 何故かというと、レース期間中はレース同士の間が2〜3週間で、走行中に一つの事件が起きた時に次のレースまでに対策しなきゃしょうがないので、このサイクルが圧倒的に速い訳です。例えばレースが終わった翌日には『何が原因でそうなったのか』という所から始まって、どうやって克服していくか、あるいは部品改修などの対策にすぐ入る。通常の会社のように、土日は休日だから週明けに取り組む、というような状態ではとてもこのサイクルを短くすることができない。そうしたものの考え方が、水野さんには必要だったのだと思います」
Photo  「ノバで組みあがったレーシングカーはいきなり全開走行しても壊れない」。開発を急ぐ水野氏にとっては、森脇が率いるノバの技術水準の高さも同時に欲しかった物だろう。
 開発サイクルの短縮以外にも、森脇とノバの技術陣に対して求められた要求設計項目は多岐にわたる。部品は可能な限り軽く、かつ、可能な限り剛性を高める。貴重部品は車両中央に集めて、慣性モーメントを小さく抑える。空気抵抗は小さく、ダウンフォースは大きく。重心は低く抑える…。
 「しかしこれらのこともまた、レーシングカー開発にとっては当たり前の事です。ただ、量産車、一般メーカーの開発者はそういう考えはない。全く考えないわけじゃないけれども、その度合いたるや全然比較にならない。そのような設計方針は自動車メーカーにとっては『あり得ない』わけですから、無理もありませんが。例えばF1の世界で言うと重心位置が1センチ高くなればタイムが0.5秒遅くなるといわれています。よってレースカーでは徹底的に重心を低く、中心に持ってくるのですが、そういう感性はレースカーに関わっている人間でしか持ち得ない。ニュルブルリンクで8分を切るタイムを出したいのであれば、絶対的にレースカーの設計手法を導入しなければ実現などしないのです」

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圧倒的な基本性能
photo  水野氏は、レーシングカーにおけるハイレベルな走行安定性と安全性能をGT-Rにおいて実現しようとしている。しかもニュルブルクリンクで8分を切るような高性能を、「決して運転技術に長けたプロドライバーだけでなく、誰もが享受できるようにする」。そんな途方もない構想を前にして、悩むことはなかったのか。
 「例えばニュルを6分で走れるピュア・レーシングカーがあるとしますよね。それと全く同じ技術を用いて、8分で走る乗用車があるとしたら、これはすっごい楽で気持ちよく、誰もが安全に走れる車となります。水野さんが言っているのはそれなんですよ。
 だから『とんでもない高い性能のクルマをつくろうよ』と。それはコーナーも速く走れる、トラクションもブレーキも良い、要するに走る・曲がる・止まるの基本性能の圧倒的なものをつくろうとした。そうすれば、通常の人が通常に使う使用シーンではーたとえサーキットを走ったとしてもー絶対的な安全マージンを保った上で、スムースに走れる。これが水野さんのターゲットとなるのです」

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どんな犠牲を払ってでも
Photo  量産車とレースカーの開発で一番異なるのは「速くなるなら、どんな犠牲を払ってでもやりとげる」という一点に尽きる。
 80年代から90年代初頭にかけて、森脇率いるノバと水野氏率いる日産チームは国内グループCクラスの「全日本スポーツプロトタイプ選手権」のタイトルを手中にすべく覇を競って角逐した。苦杯をなめ続けて90年にようやく年間チャンピオンをもぎ取った水野氏にしてみれば、グループCの頂点に君臨した森脇はいわば「仇敵」。それだけに、GT-Rの開発に当たっては互いに気脈の通じるところもあっただろう。
 「私にとっては、言い方はよくないかも知れませんが、GT-R自体に特別に強い思い入れがあるわけではありません。水野さんが構想した、『量産車にどこまでレーシグカーの技術を投入できるか』という部分に、一人のエンジニアとして強烈にひきつけられただけなのです」

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分業体制では間に合わない
GT-R  開発チームの定数を三分の一に削減し、しかも開発期間は4年だけ。一見すれば到底不可能に見える条件の中で、水野氏はノバに賭けた。
 「実際の開発現場では日産の技術者とも一緒に仕事をするのですが、仕事ぶりに対して『それは違うんじゃないの』と指摘する場面が無数にあった。例えばレーシングカーでは、横Gが4G、5Gもかかるとエンジンやミッション内部でオイルが側壁にぺたっと張り付く。だからオイルのサクション口をオイルパンの底に設けてはいけないのに、それに気付かない。その為に対策をどうする、こうする、を積み上げてようやく完成したのがGT-Rです」
 また開発期間を短縮するために、計測要素が400以上ある専用の同期型データロガーをマネッティ・マレリに特別に作らせ、テスト車両に積み込んで走行を重ねた。
 このデータ解析システムの功績は大きいと森脇はいう。
 「今での分業体制よろしく、セクションごとにテストしていたらいくら時間があっても足りない。だから一度のテスト走行でボリュームの高いデータを蓄積できる仕組みを作りました」
 同時に多くのエンジニアが何処で何が起きているかを把握できた。

一瞬の出来事
Photo  4年に渡る開発期間は、一瞬にして過ぎ去り、多くの困難を克服してチーム水野は世界に誇れる車 『NISSAN GT-R』 を世に出しました。
 その高性能は世界のモーターフアンを喜ばせNISSAN GT-Rの名はすでにLegendになりました。
 ノバ・エンジニアリングにとっても熱く燃えた、寝食を忘れた開発期間でした。
 我々の持っていたノウハウや情熱が少しでもGT-Rの開発に役立ったのであればこれほどの幸せは有りません。
 この先もGT-Rは「次」を求めてより開発されていきます。


GT-R


photo 【森脇基恭プロフィール】 ノバ・エンジニアリング株式会社取締役技術部長。成蹊大学工学部を卒業後、ホンダに入社し、本田技術研究所に配属される。現ホンダ最高顧問の福井威夫氏とは同期。1973年に英国のレーシングカーコンストラクターであるGRD社に移籍し、レーシングカーのシャシーデザインなどを担当する。76年に帰国し、79年にノバ・エンジニアリングに入社、技術部長としてレーシングドライバーの長谷見昌弘、星野一義、高橋国光の各氏と組み、全日本F2選手権や全日本耐久選手権に参戦。数多くの年間タイトルを獲得する。現在はフジテレビのF1中継の解説者としても活躍している。

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